この日は最終日というだけあって、座席は全部埋まってしまい、立ち見の観客も出ていた。ショーはいつもと同じように、スムーズに進行していき、あっと言う間にダレンとクレプスリーのショーも終わり、と蔵馬の出番が来てしまった。
は今日が最終日ということで、かなり気合を入れていた。今日は大物を召喚するんだから、と張り切って幻想世界から呼び出したのは、海流の支配者の巨大エイ(マンタ)。は早速うちかけを脱いで魅惑的なボディラインを露にすると、宙を泳ぐマンタの背に飛び乗り、悠々と空中サーフィンを披露し、さらに観客からも何人か選んでその幅が広い背に乗せてやった。最初は怖がっていた観客も、意外と乗り心地が良いマンタの背中に満足し、笑顔を見せてくれた。
蔵馬もオウム草を始め、人間に害のない魔界植物を召喚し、観客をあっと驚かせる。
大反響のうちに、とうとうすべてのショーが終了してしまった。
「あー、すっごい充実感!」
舞台裏でが盛大に息を吐きながら言った。
「まだ終わってないよ、。臨時とはいえ、サーカスの一員なら、華やかな舞台の仕事の後の地味な仕事もしないと。」
蔵馬はぽん、との肩を叩いてたしなめた。
「はいはい。それにしても、シルクのメンバーも大変ね。打ち上げパーティが終わったらすぐに次の国に移動だなんて…。」
それが私達の選んだ道だから、と一人の女性スタッフが笑顔で答える。皆テントを畳んだり、大道具を片付けたりと、かなり忙しそうだ。打ち上げパーティを始める前に、皿屋敷からの撤収の準備を一区切りつけてしまう気らしい。当然は着替える暇も無く、セクシーな舞台衣装のまま働くこととなった。世の男性からすれば、かなりの目の保養になるのだが…後で蔵馬に酷い目に遭わされるのが恐ろしいのか、それとも単純に忙しさのためか、をじっと見つめるスタッフはいなかった。
そのうち蔵馬は男手が必要だ、とエブラに呼ばれて引っ張って行かれてしまった。は女性スタッフ数人と一緒に、座席の撤去等を手伝っていた。そこへ
「。」
ダレンの声がした。
ダレンは重くて高価なガラス細工がいくつも入った箱を抱えていた。舞台やテントのあちこちに飾り付けていたものだ。
「ごめんね、僕も蔵馬やエブラと同じ仕事手伝うことになって…。僕の代わりにこの箱を廃材置き場の一番奥に停めてある黒いバンの中にしまって来てくれないかなぁ?この箱を置く場所はかなり高いからハーフバンパイアの僕が仕事頼まれたんだけど…、も空中ブランコですっごいジャンプ見せてたから、高い所大丈夫だよね?」
はチラリと一緒に働いていた女性スタッフに視線をやった。
私達は大丈夫よ、ダレンの仕事を代わってあげて、と彼女達はにこやかに言ってくれた。
はダレンから箱を受け取ると、大テントを出て奥の黒いバンへ向かって歩いていった。
箱を抱えながら、は夜空を見上げた。街のネオンもここまでは届かないのか、たくさんの星がまたたいているのが見えた。しばし星空の美しさに見とれながら歩いていると、シュッと鋭く空を切り裂く音が聞こえた。
は咄嗟に身をかわした。もちろん箱の中の貴重なガラス細工は傷つけないように気を配った動きをした。がさっきまでいた地面に突き刺さったのは、ボウガンの矢。
茂みの影から小声で毒づく声が聞こえてきた。
「畜生…。ここに来るのはダレンだと踏んでたのに…!」
「そこにいるのは誰!?今すぐ出て来なさい!!」
箱を地面に置き、バトルモードに切り替わったが、鋭い調子で言った。ややあって、茂みの中から姿を現わしたのは、年の頃15,6歳の少年であった。シャギーの入ったプラチナブロンドの髪に、豹のような瞳の色はどこかで見たような青色だった。手には少年が持つにはふさわしくない、いかついボウガンが握られている。
少年は最初こそ警戒している様子だったが、目の前にいるのが女の子、とわかると、途端に見下したような表情でを見た。
「人のことをいきなりボウガンで撃っておいて、謝罪の言葉の一つもないわけ?」
厳しい口調では少年を問いただす。
ハッと少年はのことを鼻で笑い、口を開いた。
「バンパイア狩りにアクシデントは付き物だからな…。いちいち誤射にかまってらんねぇんだよ。」
「…バンパイア狩り、ですって…?」
の声が低められた。それに対して少年は、歪んだ嫌らしい笑みを顔に浮かべて言った。ここ数日シルク・ド・フリークの周りをうろついていた不審な気配は、この少年のものに間違いないだろう。
「ここに二人、いるのはわかってるんだ…。ラーテン・クレプスリーにダレン・シャンっていうバンパイアどもがな。このサーカスのことを俺は調べ尽くしたから…。ヤツらのところに、案内してもらおうか?あいつらは今どこにいる?」
ボウガンをに向け、少年は凄んだ。だがは少年の脅しに一切怯むことなく、気丈に言い返す。
「調べ尽くしたですって?私をダレン君と間違えて撃ったくせに、笑わせるようなことを言わないでよ。それに、コソコソと相手のことを嗅ぎまわるような卑怯者に、教えてやることは何もないわよ!!」
少年の顔に不快の念が浮かべられた。
「いいか、俺がおとなしく聞いているうちに言うこと聞いといた方が身のためだぜ。セクシーで美人な姉ちゃんに風穴開けたくないからな…。」
「やれるもんならやってごらんなさい!」
と言ったに対し、
「ちょっと痛い目見ないと、本気でわからねえみたいだな…。」
少年の目が細められた。同時にカチリと少年はボウガンのトリガーを引いた。
シュッと再び矢が目掛けて放たれた。はその矢をわずかに体を横に傾けてかわすと、少年目掛けてダッシュした。
少年はすかさずポケットに手を突っ込むと、筒状の物を地面に向かって投げつけた。パァンと軽い破裂音がして、中からもくもくと白い煙が立ち上ってきた。
「…なにこれ、煙い…!目に染みる。」
謎の煙に足止めされ、の動きが止まった。
アハハハ、と少年はを嘲笑し、言った。
「催涙ガスだぜ、どうだ効くだろ!?」
ひとしきり笑った後で、ぞっとするほど冷たい声で、に向かって言い放った。再びボウガンを彼女に向けたままで。
「女のくせに、強いフリして出しゃばるな。さっさとバンパイアどもの所に案内しろ…。」
催涙ガスが喉や肺にも入り、しばらくは苦しそうにケホケホと咳をしていたが、きっと少年を睨み付けた。
「女のくせに…ですって…!あんたの言うことなんか、死んでも聞いてやるもんですか!!」
かっとなった少年は、目を怒りで見開いた。
「ああ、そうかよ!じゃあ、死ね!!」
何のためらいもなく、ボウガンの引き金を引いた。矢はまっすぐに向かって飛んで行ったが、彼女に突き刺さる寸前に、彼女の前に突如出現した半透明の青い壁にはじき返された。いや、正確には彼女が青い壁を出現させたのだが。
「何…!?」
少年は驚いて、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「先に武器を持って、手を出してきたのは、そっちだからね…。」
は拳をきつく握り締め立ち上がった。その目には、もう目の前のプラチナブロンドの少年を許さない、という意志が宿っていた。
少年はその瞳の剣幕にわずかにたじろいだ。その隙を、は見逃さなかった。あっと言う間に少年に駆け寄り、腹部に強烈な拳の一撃を叩き込む。見た目はかなりの細腕のだが、その威力は瓦を何枚も割ることができるくらいはあるだろう。妖怪達から見ればけして腕力があるとは言えないのだが。
「ぐ…ゲホッ…!!」
案の定、少年は腹を押さえて、地面に膝を付いてしまった。
「どう?私は女だけど、正真正銘強いってこと、わかってくれたかしら?」
ふふん、と今度はが少年を見下ろしながら言った。
「さあ、あなたが誰か、何でダレン君とミスター・クレプスリーを狙うのか、洗いざらい話してもらうわよ!」
が言ったその時であった。
真っ白で強烈な閃光の柱が、少年との前に立ちはだかった。
「…!」
目が潰れそうなその光に、は反射的に目を閉じてしまった。
「覚えてろ、女!いずれお前もバンパイア共々、ぶちのめす!バンパイア、バンパイア一族に味方するヤツら…全員この俺、スティーブ・レナードが地獄に叩き落してやる!!」
狂ったように高笑いする少年の声がの耳に響いた。
の目が再び見えるようになった時には、少年の姿は消えていた。
ほどではなかったが、少年−捨て台詞でスティーブという名を明かして逃げ去った少年は、人間にしては頑強な部類に入ったのだろう。の強烈な一撃を腹にくらいながらも、閃光弾を投げつけて、逃走することができたのだから。
を襲った少年は何者だったのだろう?日本人でないことは確かだったが、ボウガンや催涙弾といった類のものを、どうやって日本に持ち込んだのか?起こったことがあまりにも予想外のことだったので、幽助達には蔵馬の次に冷静、と言われるの頭も混乱していた。
恐らく少年は、バンパイア一族を自らの強さを誇示したいがために殺して回るバンパイアハンターだったのだろう、という答えで今は納得するしかない。
ガラス細工が入った箱を当初の予定通り片付けたは、大テントへと戻った。そこではもう仕事の大部分が片付いていて、メンバーは打ち上げパーティの準備をしていた。
ダレンとクレプスリーの姿を見つけたは、バンパイアハンターの少年のことを報告しようと思った。が、このパーティが終われば彼らはすぐに港から船で日本を出る。わざわざ最後に不安な思いをさせることはない、と思い、喉許まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。普段のなら、絶対に報告していたはずだが、この時の彼女はなぜかその気にはなれなかった。
これはやはり、運命がしかるべき時に、ダレンとスティーブを結びつけるためだったとわかるのは、ずっとずっと後のことだ。
今回は赤瑪瑙の瞳の戦乙女の加護により、難を逃れた幼いバンパイア…。だが、次はその加護は得られず、たった一人で自分の半身とも言える闇と向かい合わねばならないことを、彼はまだ知らない…。
あのスティーブとかいうヤツの瞳の色、ダレン君と同じだったんだ…。
はケーキを頬張るダレンを見つめながら、そう思った。
でも、ダレン君とあいつは、瞳の色こそ同じだけど、中身はぜんぜん違う。ダレン君は、きっと気高くて立派なバンパイアになるんだから…。
の視線に、ダレンは気付いた。
「どうしたの??ひょっとして、食べたいケーキとかある?取ってあげようか?」
「あ、うん。そこのチョコレートケーキ、取って。」
は咄嗟に笑顔を浮かべた。
蔵馬はクレプスリーと話し込んでいた。
「バンパイアの人生は厳しい。我が輩は、あの子がちゃんとそれに立ち向かっていけるのか、たまに不安になることがある…。」
ワイングラスを傾けながら、クレプスリーは蔵馬に言った。
「人生は…誰だって多かれ少なかれ、厳しいことがあります。…でもダレンは気骨がある少年ですよ。に俺以外の男で、あんなに接近して話をして、平然としてられるなんて…。大丈夫、彼なら何があっても乗り越えていけます。」
蔵馬はミネラルウォーターが入ったコップをテーブルに置いて、クレプスリーの不安に答えた。
「貴殿にそう言って貰えると、なぜか安心するな。やはり年の功か?またこうやって、話ができる日が来ることを願っておるぞ…。」
クレプスリーの表情がふっと緩んだ。蔵馬も微笑んで、ええ、と頷いた。
朝日が差すころ、シルク・ド・フリークは隣街にある港へと向かって出発した。クレプスリーはトレーラーの中の棺に入って眠ってしまったが、ダレンは最後の最後まで名残惜しそうにと蔵馬と話していた。
「二人とも、本当にありがとう。また、日本に来た時はよろしくね。」
「いつでもいらっしゃい。今度はちょっと遠出して、日光とか有名観光地にも連れて行ってあげるわね。」
はダレンと握手しながら別れを惜しむ。
「道中気をつけて。」
蔵馬もダレンに声をかけた。
「ダレン!そろそろ行くぞー!」
トラックの荷台から、エブラが大声で呼びかけてきた。
「わかった!今行くー!!」
ダレンはしっかりと、そして蔵馬と目を合わせた。
「それじゃ、またね!!」
怪奇サーカスの少年はあっと言う間に駆け出し、トラックの荷台に飛び乗った。そのまま一団のバンやトレーラーは広い道路に出て、見えなくなってしまった。
「行っちゃったね…。」
は寂しげに、隣に立つ蔵馬に言った。
「彼らはフリークショーの一団だから、一つの所に長居するわけにはいかないから、仕方ないよ。」
優しげな眼差しで蔵馬はを見た。
「また、会えるといいなぁ…。」
しみじみと言ったに対し、
「ええ。でもしばらくは結構ですね。」
蔵馬は答えた。
「ええ、何でよ!?」
「がまた露出度の高い服を着て、ショーに出たいなんて言い出しかねないからです。本当はすごく苦痛だったんですからね、あの恰好で君が派手に動いてショーをするの…。それに…バンパイアはやっぱり油断ならない生き物だって知りましたから。」
かすかにダレン少年に対する敵意が蔵馬のセリフから読み取れた。
はぁ、とはため息をついた。
「蔵馬って普段は冷静で頭いいくせに、つまんない所で子供っぽいわよね。あなたは狐の妖怪だけど、私に執着して、まるで蔵馬の方が血に飢えた吸血鬼みたいよ。」
「いいですよ。俺は専属の吸血鬼で。君のすべてを吸い尽くすまで、いや、吸い尽くしたって、俺はを離さないから…。」
そこまで言うと、の顎を唐突に蔵馬は持ち上げ、唇にキスを落とした。
「困った蔵馬…。」
くすっと笑いながら、まんざらでもない様子では言った。
時刻は朝の6時を回り、廃材置き場にも朝の爽やかな光が差し込んできていた。
(終)
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